「教育は信頼の上で成り立つ」とは?

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日々、子どもにプログラミングを教えて、まもなく9年が経とうとしております。


「どのように教えれば良いか?」
常に悩んだ日々でしたが、未だに「こうすれば良い!」という答えには辿り着いておりません。
生徒が帰ってから「こんな風に言えばよかったかも」など、反省することも多々あります。

「あ、こう言えばすんなり理解してくれるのか!」と発見することもあれば、
「あれ?同じように教えても、この子はまったくピンと来てないぞ…」となることも多いのです。
はっきりしていることと言えば、「生徒によってベストな教え方は異なる」ということぐらいです。

「教育者としてのスキル」とは「教え方のパートリーをどれだけ増やせるのか?」ということかと思います。

一方、仮に「教育者としてのスキル」が完璧になれたとしても、それですべての生徒を教えることができるか?というと、まだ疑問は残ります。

そもそも「教える」という考えが、実はズレているのではないか?そんな風にも思います。
児童教育の本質は「育む」ことではないのか?
育む過程で「教える」ことも必要になりますが、あくまで育む事がメイン。

その観点で考えると「わかりやすい教え方」というのは小手先の教育でしかなく、もう少し視野を広げて考える必要があると思います。

そんなときに表題の「教育は信頼の上で成り立つ」という言葉を聞き、これだ!と納得しました。
喉に引っかかっていた錠剤が、ストンと腑に落ちたような気分になりました。

この言葉は さいたま市立岸町小学校の笠原校長先生が、信条とされている言葉です。
(笹原校長の尊敬する先輩から言われた言葉のようです)

笹原校長の言葉を引用させていただくと

" どんなに高い指導技術があっても、子どもと教師の間に信頼関係がなければ、教師の投げかけは子どもの頭や心に響くことはありません。 "

心からそう思います。
なので私もまずは生徒との対話を大事にし、信頼関係を結ぶことを最優先と考えています。
信頼関係を結ぶためには、笹原校長は以下のように書かれています。

" まずは子どもに寄り添い、話を共感的に聴き、子ども一人ひとりの よさを認めた上で、解決方法を共に考えていく、そんな関係づくりを目指します。 "

つまり、「教える」という目線ではなく「話を聞き、解決方法を共に考える」という目線なのです。
「生徒が主役、講師はサポート」と言っても良いでしょう。
「生徒に教えてやろう!」というスタンスじゃなく、「育むためにはどうするか?」を考えるべきということです。

もう少し具体例を挙げると、例えばご自宅などで「試験に落ちたら将来どうなるかわかってるのか?!」というように、子どもの不安を煽ることによって勉強させるようなことはよくあると思います。
確かに短期的に学習成果を上げやすいので「教える」ということに関しては成功しているかも知れません。
ただ、このような方法は長続きはしません。
無理やり続けていると、逆に勉強をしなくなってしまうでしょう。
長続きするには「教育者と信頼関係」がある場合のみだと思います。

では信頼関係はどう築くのか?
これは簡単ではありません。
「教える技術」よりもよっぽど難しいことです。

特に児童の場合、家族以外の大人とほぼ話をしたことすらなく、他の大人は、ただただ「怖い対象」である場合もあります。

発達障害児などは何年付き合っていても、一切思い入れを抱かない場合もあります。
それでも「信頼関係を築こう」という行為は絶対にしなくてはいけないことだと思います。
個人的に心がけているのは、

「親ではなく、子どもと話す」
「嘘や、ごまかしをしない」
「一緒に悩む」

ということです。
一応説明しますと、

①「親ではなく、子どもと話す」
というのは、「講師、子ども、親御様」という3人の場合の話です。
こういう状況だと、暗黙の了解で「大人は大人と話す」みたいな雰囲気が出来上がってしまうのですが、出来る限り子どもに直接問いかけるようにしています。
もちろん、子どもに話しかけても、なかなか答えてくれないのが普通です。
(その場合、親御様が返答してくださるのですが、出来れば子どもが何か話すまで待って頂けると有難いです)
もし返答がなくても、子どもからしたら「この人は僕と話したいんだな」ってことは伝わると思います。
「子ども」として接するのではなく「一人の人間」として接することが大事だと思っています。
これは信頼関係を築くための第一歩です。

②「嘘や、ごまかしを言わない」
レッスンの過程で、講師が間違ったり、失敗してしまうことはどうしてもあります。
または知らない事を質問されることもあります。
その場合、誤魔化そうとすれば誤魔化せるのですが、嘘や誤魔化しは信頼関係を構築するためには絶対にやってはいけない事です。
一度でも嘘がバレれば、今までの信頼関係は壊れますし、その後、修復することも難しいでしょう。
自分が間違ってたら「間違ってたわ」と言い、知らないことには「知らないから一緒に調べよう」と言います。
もしかしたら「なんだよ間違ってたのかよ」とガッカリされるかも知れませんが、長期的には正直に言うべきだと思います。

③「一緒に悩む」
これは一番重要かと思っています。
例えば何か質問されたとき、すぐに答えを言うことも可能な場合でも「この問題難しいよな」と一緒に悩むスタンスを取ります。
「答えはわかっているけど、すぐには言わない」という事です。
一緒に悩みながら、「こんな方法はどうやろ?」っと、ヒントを与えて、最終的には生徒自身が答えにたどり着けるように誘導する感じです。
別の言い方をすると「生徒と同じ方向を向く」と言えます。
同じ敵(問題)を倒すための仲間という立ち位置です。

(「答えをわかってないふりする」という意味では、これはある意味②の内容を相反するかも知れませんが、信頼関係を毀損するような嘘、誤魔化しではないと思っています)


以上、雑多な内容となりましたが、「教育は信頼の上で成り立つ」という言葉を個人的に解釈を書きました。
ぜひ、ご家庭での接し方などに参考になれば幸いです。

尚、笹原校長が書かれている内容はこちらにあります。
https://kishicho-e.saitama-city.ed.jp/aisatu/r2kouchouaisatsu.pdf