宿題の机と、ニュースの中の「370兆円」
夕方、リビングのテーブルで小学生の男の子が宿題に向かい合ってる。
開いたノート、少し短くなった鉛筆、横に置かれた学校のプリント。
算数の途中で手が止まり、ふと顔を上げると、近くのテレビのニュースから「成長戦略」「2040年」「官民370兆円」という言葉が流れてくる。
男の子はそれを聞いているのかいないのか、それすらもわからぬ顔で、視線をまた宿題に戻す。
男の子にとっては、かなり遠い先の話。
目の前の宿題の1問のほうが、よほど大きい問題だった。
そのニュースが見ている2040年は、その子が大人になるころの未来です。
いま小学生なら、2040年には大学生か、社会に出て働き始めている年齢になっています。
そのとき、日本にはどんな仕事が残っているのか。
どんな産業に人が必要とされ、どんな力を持った人が選択肢を広げられるのか。
政府の成長戦略は、大人だけの経済資料ではなく、実はその男の子の机の先に続いている地図でもあります。
もちろん、子どもに「370兆円」を実感しろと言っても無理があります。
大人でも、数字が大きすぎて、どちらかというとただの冗談、ふざけた話に近い。
だからこそ、その数字を「イメージしやすいもの」にしたい。それがこの記事の試みです。
ただニュースを追いかけるのではなく、15年前の成長戦略と比べながら、今回の計画が何を約束し、何をまだ解決できていないのかを見ていきます。
まず、ニュースとして何が起きたのか
今回のニュースを短く言うと、政府が2040年ごろの日本の産業地図を作り直そうとしている、という話です。
2026年6月24日の経済財政諮問会議関連資料では、AI、半導体、モビリティ、エネルギー、コンテンツ、フードテックなど17分野62項目のロードマップが示され、2040年度までに官民で370兆円を超える投資を見込むとされています。
報道でも、テレビ朝日ニュースが、17分野に370兆円超の官民投資を見込む内容として伝えています。
もう一つ大きいのは、政府が「2040年度に国内民間設備投資230兆円超、GDP1,100兆円近く」という姿を示している点です。
TBS CROSS DIG with Bloombergのニュースでも、AI・半導体など17の戦略分野における官民投資の規模が370兆円以上と紹介されています。
つまり、今回の話は「景気をよくしましょう」という一般論ではなく、人口が減る日本で、どの産業を残し、どの技術に人とお金を振り向けるのかという、かなり具体的な産業政策です。
一方で、批判的な見方もあります。
たとえばNRIの解説では、戦略が総花的で、守りの政策と攻めの政策が混在している点が指摘されています。
この指摘は大事です。
大きな数字が並んでいても、どの投資が本当に子どもたちの未来の仕事や学びにつながるのかを見ないと、資料だけが立派な計画で終わってしまうからです。
15年前の未来予想図が、私たちに残した教訓
今から約15年前の出来事を覚えているでしょうか?
2010年の6月18日、日本政府は一つの大きな方針を打ち出しました。
それが、当時の閣議で決定された新成長戦略です。
この戦略の中では、2020年度までに名目GDPを650兆円程度に引き上げ、名目成長率で3%、実質成長率で2%を上回る経済成長を目指すという、非常に意欲的な目標が掲げられていました。
環境や健康、アジアとの連携、観光など、未来を牽引するとされた主要な分野がずらりと並び、日本全体の活力を取り戻すためのロードマップが描かれていました。
新しい産業の勃興に期待を寄せやすい時期でもありました。
では、その目標に対して、私たちが実際にたどり着いた現実はどうだったのでしょうか。
内閣府が公表している国民経済計算の改定資料によると、2020暦年の名目GDPは基準改定後で554.1兆円となっています。
10年前に掲げた目標は、650兆円でした。
もちろん、ここで注意しなければならないのは、この数値が「年度」ではなく「暦年」のものであること、さらに2020年は世界的な新型コロナウイルスの感染拡大という未曾有の事態に見舞われ、経済活動が大きく停滞した年であったことです。
統計の基準改定による修正も含まれているため、当時の目標数値と現在の実績値を単純に比較して、計画の成否を断定することはできません。
しかし、それを差し引いたとしても、私たちが15年前に描いていた「名目GDP650兆円」という目的地と、実際に到達した現在地との間には、決して小さくない乖離があることは認めざるを得ません。
この結果を、ただ「計画が甘かった」と批判したり、過去の政策の失敗として片付けたりするのは簡単です。
しかし、私たちが本当にすべきなのは、そのズレの背景にある本質的な課題を読み解くことです。
政府自身がまとめた2021年の成長戦略実行計画の振り返りを見ると、2010年代の日本は、女性や高齢者の就業率が上昇し、働く人の数そのものを増やすことには成功したと整理されています。
その一方で、懸案であった労働生産性の伸びは弱く、供給力や生産性を引き上げるための根本的な構造改革が十分に進まなかったことが指摘されています。
つまり、労働者の数は増えたものの、一人ひとりが付加価値を生み出すための仕組みや技術の導入が遅れてしまったということです。
この歴史的な経緯は、私たちが未来の目標をどのように見つめるべきかという、極めて重要な教訓を教えてくれています。
「需要を作る」から「供給力を守る」への大転換
かつての2010年戦略と、現在議論されている2026年の戦略とでは、その根本にある思想が大きく異なっています。
15年前の「新成長戦略」は、平たく言えば「需要を新しく作り出す」ための戦略でした。
新しい産業や市場を創出し、そこに人々の消費や投資を呼び込むことで、経済の規模を大きくしようという発想です。
世の中にまだない仕事を作り、そこに就労の機会を生み出すことが成長の原動力になると信じられていました。
当時は、環境ビジネスや観光事業を活性化させることで、新たな需要が生まれることを期待していたのです。
しかし、2026年6月24日の経済財政諮問会議で提示された成長戦略ロードマップ関連資料が描き出す未来は、その前提が根底から覆っています。
現在の日本が直面しているのは、需要が足りないことだけではなく、社会や産業を維持するための「供給力が足りなくなる」という現実です。
少子高齢化が進み、人口が減少する中で、これまでの社会システムや産業の基盤をどうやって維持していくのか、という切実な問いが中心に据えられています。
そのため、最新の計画では、AIや半導体、モビリティ、エネルギー、さらにはコンテンツやフードテックといった、国の土台を支える分野に対して、官民で370兆円を超える巨額の投資を実行することが掲げられています。
仕事を作るという発想に加えて、今ある、あるいはこれから必要となる産業の現場を「作る力」そのものを守ることが大きな焦点になっているのです。
この供給力の維持という観点から、中長期の試算も行われています。
政府の経済財政に関する試算資料によると、適切な成長と投資が進む「成長移行ケース」が実現した場合、2040年度には名目GDPが1,100兆円近くに達し、国内の民間設備投資は230兆円を超えるという姿が示されています。
その一方で、現在の状況をそのまま引きずってしまった「現状投影ケース」では、名目GDPは900兆円程度に留まり、民間設備投資も170兆円程度に落ち込むと試算されています。
この二つの未来図の差は、単なる数字の上での勝ち負けではありません。
私たちが、電力を安定して供給し、高度な医療を維持し、便利な移動手段や物流の仕組みを次の世代に残せるかどうかの分岐点を示しています。
私たちは今、拡大を目指すのではなく、維持するための「生産力」を必死に確保しなければならない局面に立たされているのです。
「誰がそれを動かすのか」という、数字の裏にある現実
370兆円という莫大な投資を行い、最先端の工場を建て、高度なAIシステムを導入する計画を立てたとしても、大きな問題が残ります。
それは、「それらの設備やシステムを、一体誰が動かすのか」という問いです。
機械や工場は、予算をつければ購入したり建設したりすることができますが、それを使いこなし、保守し、新しく作り直す人材は、お金を払えばすぐに手に入るわけではありません。
どれほど豪華な舞台を用意しても、そこに立つ役者がいなければ、劇を始めることはできないのです。
この懸念は、決して大げさなものではありません。
国の将来推計をまとめた日本成長戦略についての関連資料には、非常に厳しい予測が記されています。
2040年には、専門的・技術的な職業に従事する人が181万人不足し、AIやロボットを活用する現場の人材は339万人、物を作る生産工程の働き手は206万人も足りなくなると試算されているのです。
特に専門性の高い理系人材に絞ってみると、需要としての889万人に対し、供給できるのは775万人にとどまり、124万人もの人手が不足する見通しとなっています。
この数字は確定した未来ではありませんが、このままの教育やキャリアパスが続けば、社会のインフラを維持することすら困難になる可能性を示唆しています。
政府もこの状況に手をこまねいているわけではありません。
高校の普通科において、長年続いてきた文系と理系の比率を2040年までに同程度へと近づけていく方針や、大学の理工農、デジタル、保健系の定員割合を、現在の35%から50%へと引き上げる目標を掲げています。
しかし、この方針を聞いて、「これからは理系に進まなければ就職できない」「子ども全員にプログラミングや理系科目を強制しなければならない」と短絡的に受け止めるのは間違いです。
大切なのは、学校や学部という外側のラベルを増やすことではなく、子どもたちが社会の仕組みを理解し、実際に手を動かして課題を解決する力をどのように育むか、という中身の議論です。
理系という看板を掲げた教室をいくら増やしても、そこで行われる教育がこれまで通りの暗記中心であれば、激変する社会を支える人材は育ちにくいはずです。
文系・理系の枠を超えて、仕組みを理解する学びへ
教室で子どもたちにプログラミングを教えていると、面白い光景に出会います。
パソコンの画面上でキャラクターを動かすプログラムを作る際、最初からすべてが完璧に動くことはほとんどありません。
多くの場合は、キーボードの入力ミスや、順序の勘違いによって、エラーが発生したり、画面が固まったりします。
そのとき、慣れている子たちは自然と、なぜ動かないのかを観察し、プログラムをいくつかの要素に分解して調べ始めます。
「ここで数字が間違っているかもしれない」と仮説を立て、実際に試してみて、結果を確認し、また修正する。
最後に、自分がどうやってその問題を解決したのかを、指導者や友達に嬉しそうに説明します。
この一連の行動は、実はプログラミングの「デバッグ」と呼ばれる作業そのものです。
このデバッグのプロセスは、コンピュータの世界だけで通用する特別な技術ではありません。
これこそが、これからの複雑な社会で最も必要とされる、物事の仕組みを理解し、自ら解決策を作り出すための基礎的な思考力です。
これからの時代に必要なのは、単に新しいスマートフォンの使い方を覚えることではなく、「このスマートフォンはどのような仕組みで動いているのか」を想像し、裏側のシステムを観察しようとする姿勢です。
文系だからプログラムは関係ない、理系だから文章は書かなくていい、という二者択一の考え方は、もはや通用しません。
どのような進路を選ぶにしても、目の前にある複雑な道具やサービスの仕組みに関心を持ち、それを自分の手で触って、直して、他人に伝える力が求められているのです。
家庭や教室で、私たちが今日からできることはたくさんあります。
例えば、子どもたちが何かを作っていて失敗したとき、「こうすればいいよ」とすぐに大人が答えを教えるのを、少しだけ待ってみるのもその一つです。
「どうして動かないと思う?」「どこまでだったら正しく動いていた?」と問いかけ、子ども自身が観察し、分解し、仮説を立てる時間を十分に確保することが重要です。
また、ニュースで新しい技術やサービスの話題が出たときに、それをただ消費するだけでなく、「これはどういう仕組みで動いているんだろうね」と親子で一緒に調べてみることも素晴らしい学びになります。
身近なものの裏側にある仕組みを面白がる経験こそが、将来の労働不足という大きな課題を解決するための、最も確実な第一歩となるのです。
未来から届いた問いに、いまの教室で答える
2040年に向けた370兆円という莫大な投資目標や、何百万人という深刻な人材不足の推計値。
これらは、大人の経済学者が作った遠い世界の計算式のように思えるかもしれません。
しかし、見方を変えれば、これは未来の大人になる今の子どもたちから、現代の私たちに対して届けられた、切実な問いかけでもあります。
「私たちが大人になるころの社会に、どんな仕事や学びの選択肢を残してくれますか」と、彼らは問いかけているのです。
大人が描いた計画の数字のズレを埋めるために、子どもたちの教育があるわけではありません。
子どもたちが主体となって、新しい未来を自分たちの手でデバッグしていくために、いまの教育や社会のインフラを整える必要があるのです。
過去の成長戦略が描いた未来図と、現在の現実とのギャップを振り返ることで、私たちは多くの教訓を得ました。
どれほど立派な産業の名前を並べても、一人ひとりの生産性を引き上げる仕組みと、それを支える主体的な学びがなければ、計画は資料の中だけで大きく見える数字に終わってしまいます。
必要なのは、学校の定員を操作することだけでも、子どもたちに特定の職業を強制することでもありません。
手を動かして仕組みを理解し、失敗を恐れずに修正を繰り返す経験を、子どもたちの日常に一つでも多く増やしていくことです。
その積み重ねが、次の世代に供給力と豊かな選択肢を残すことにつながります。
子どもが目の前のおもちゃを壊してしまったり、プログラムが動かなくて泣きそうになったりしている瞬間。
それこそが、未来の社会を形作るための最も大切な教育の現場です。
大人ができるのは、失敗を叱る長々とした説教ではなく、一緒に原因を探し、次に進むための一歩をそっと支えることです。
子どもたちが大人になるころの未来に、何を残せるのか。
その重い問いへの答えは、今日の教室で、そして家庭の食卓で、目の前の子どもと向き合う私たちの、無数の小さな選択の中にあると思います。
